希望と媚薬

『愛の反対は憎しみではなく無関心です/マザー・テレサ』 『批判書いてる間は俺の事を考えてる。だから俺の事好きなんだなって変換してます/手越祐也』

ぼくの流れ星はきみだった

私は大抵のアイドルソングをアイドルとファンの曲として捉えている。

例外もあるが明確な線引きは曖昧なので、
ここでは例に漏れずアイドルとファンの関係性になぞらえて解釈した、
NEWSの最新アルバム「EPCOTIA」に収録されている
「TWINKLE STAR」という曲について書きます。



この曲を一言で言うなら「もういなくなったアイドルを想う曲」だ。

アイドルとファンという括りでは、以前にも
シリウス」について書いた*1けれど、
シリウス」が大きい会場…いわゆるドームクラスの会場で、
天井からペンライトの星空の一部となり、
豆粒のような相手を想うような曲だとすれば、
「TWINKLE STAR」は実際に触れ合えるような距離で、
握手して目を合わせられるクラスのアイドルを想う曲なのではないかと感じる。何となく。

それというのも、この曲は初っ端から

「綺麗な眼をしてたね」

というフレーズで始まる。

星空のような、というのはよく使われるような表現だけれど、
「千年に一度」と称えるのは大層なことだ。

「○年に一度の〜」という売り出し文句をつけられるアイドルは少なくない。

それと同時に千年後にアイドルをやっていられる人は存在しないわけだけど。

その後に続く「もうどこにもいないと知って」

"君"がいなくなったことを知っているのに、
「宛名のない手紙」を書くのは、
その手紙を書いている間だけはまだここに"君"がいるように感じられるから。

恐らく、手紙を書くこと自体は初めてではなく、
届いてるという確証もあったのだろう。

それくらいの距離感で応援していた相手だと思う。

だけど、もう「アイドル」ではない"君"は、
自分が知っているその名前で呼べるのかわからなくて、
宛名を書くことはできないのかもしれない。


サビは後述するので飛ばして、Bメロ。

「何を見てたんだろう」
このフレーズはアイドルを応援しているものとして、
刺さりすぎて痛い。

"君"のことを見られるのは、ファンである以上、
ステージ上または画面越しでしかない。

いくらフィルターをかけていないつもりでも、
衣装を着ている姿やテレビや雑誌を通してしか、
"君"を見ることはできない。
だから、自分が何を見ていたのか正解をもらうこともできない。

ならば続く「もうここにはいないと知って」の
「ここ」はどこを指すのだろう。

歌詞では「地上」と書いて「ここ」と読ませているが、
人として皆が平等に足をつけて生きるのが「地上」だとしたら、
アイドルはどこを生きているのか。

"君"がアイドルでなくなってしまったから、
「もういない」というのであれば、
「ここ」=「表舞台」であるとするのが一番わかりやすいと思う。

もしくは、アイドルでなくなってしまったということを別角度で捉えるなら、
アイドルではなく次のステージ、役者なりモデルなりに進んだという意味になり、
その場合は表舞台ではなく「歌って踊るステージ」に限定される。

そしてもう一つの「ここ」は「頭の中」だ。
記憶と言ってもいいかもしれない。

少し前後するが「何を見てたんだろう」の後には、
「霞む面影追いかけていた」と続く。

Aメロでは「忘れようとするたび」と言っていた相手は、
既に霞み始めてしまった。

忘れたくても忘れられない、だけど忘れる。

そう、どれほど忘れたくないと思っても、
忘れたくても忘れられなくてもいつかは忘れてしまうのだ。

このまま時が止まってしまえばいいと思うほど、
目を閉じて思い出す、共に過ごした夢のように
キラキラした時間さえ。

悲しいことに、人間の頭はそういう風にできている。

「ここ」という自分の頭の中から、
"君"は溢れて消えていきそうになっていく。

けれど追いかけるその面影でさえ、自分の頭の中で作り上げた"君"でしかないのかもしれない。

だとしたら、一体僕は何を見ていたのだろう。

そう問いかけたくても、例えば手紙に書いて見たとしても、
海に放った小瓶のように、"君"からの返事はない。


そもそも"君"はなぜいなくなってしまったのか。

アイドルがアイドルでなくなる瞬間。

様々な理由はあれど、男性アイドルと女性アイドルには、アイドルでなくなることに対して明確な違いがある。

まず女性アイドルには卒業という制度がある場合が多い。

年齢や次のステップへ進むことから卒業という言葉が用いられるが、
ファンは好きになったと同時に、常にいつかくる「その時」をどこかで意識している。

対して、男性アイドルにはグループコンセプトにもよるが、
基本的に卒業は存在していない。

結婚をしたければ必然的にアイドルをやめることになる女性アイドルとは違い、
人気の低下やファン離れというリスクはあれど、
結婚の為にアイドルを辞める選択をする男性アイドルはいないと言っていいだろう。

つまり、「いなくなる」基準がないだけに、
それはいつきてもおかしくないし、いつくるか予想もできないということだ。

それはいつも突然に、予告もなしに訪れる。

ファンだからわかってしまうこともあるけれど、
止めようもないしそもそも止められるものではなくて。

"君"がいなくなってしまった後のことは自分でどうにかするしかない。

そこで、サビの話になります。

サビで言ってることは曲を通して一度も変わっていなくて、
つまり最終的に言いたいことはサビの内容とも言える。

ここでいう「叶わない未来」は=「もう一度だけ君と見つめ合えたら」であるものの、
もう自分の願いをかけられる星(スター)ではなく、
混沌とした宇宙の塵のように特定できない存在となってしまった"君"は、
元々届かなかったはずなのに、本当の意味で銀河の果てまで遠い存在になってしまう。

心象とは、心の中に描き出される姿・形。
心に浮かぶ像のこと。

ゆらりゆらりと舞う」は先述した「何を見てたんだろう」にも繋がるかもしれない。

自分の心の中で描いていた"君"を何度再生しても、
それは心の中の像でしかない。

その「舞う」は「迷う」でもあると思う。

サビの前に「So never give up」とある。



この場合の「never give up」は、
試験や大会の際に選手に声をかけるような
その瞬間に対してのものではなく、
「(これまでも、これからも)絶対に〜ない」
という意味合いが強いように感じる。

叶わない未来「さえ」描く、とあるように、
どこかで"君"との未来を諦めることができない。

"君"がいたこれまでも、"君"がいないこれからも。

けれど、ラスサビ前にその「never」は崩れ去ってしまう。

「もう世界は 色のない夢だけ描く」
「君と二人じゃなきゃ 叶わない」

やはり"君"がいなければ、"君"でなくては、
夢は叶うことはない。

君が願いを"かける"存在なのではなく、
"君"こそが願いそのものだと気付いてしまったからだ。

だからだろうか、ラストのサビでは
「never give up」と言っていないのだ。


「諦めない」ことを諦めたともいえるし、
やっと「ここ」から"君"がいなくなったことを受けいれられたともいえる。

けれど、もう少し前向きに捉えてみるとすると、
「never give up」が不屈の精神や人生を通しての指針を表すなら、
アイドルだった"君"から「決して諦めない」という生き方、
そう、「明日を生きるための希望」をもらったといえるのではないだろうか。

だからこそ、あえてもう言う必要はないのかもしれない。


永い人生の中でアイドル生命は流れ星のよう、
残酷なまでに儚く一瞬で消えてしまう。

しかし、確かに"君"が残してくれた希望は、
ずっとずっと僕の中で輝き続けるのだ。