希望と媚薬

『愛の反対は憎しみではなく無関心です/マザー・テレサ』 『批判書いてる間は俺の事を考えてる。だから俺の事好きなんだなって変換してます/手越祐也』

いつか愛と呼べたら


なんか手越くんのことめっちゃ好き〜〜!!!!絶!好!調!!真冬の恋〜〜!!!!

ってテンションだからそのテンションのまま書きます。

このブログ読んでくれてるような方だったら、
ハイハイ、出た出たって感じだと思うんですけど。

もう「明日も来てくれるかな?」っていったら
「いいとも!」って言うんでしょってくらいのお決まり感。

そうだとは思うんですけど、好きなアイドルのことを、
いつでも好き好き大好き超愛してる!って思えることなんて、
実は全然当たり前じゃなくて。

それはあちらサイドのコンディションもあるし、
こちらサイドのコンディション由来なこともどっちもあるんですけど、
好きになったこと自体はこっちの勝手なわけで、
好きじゃなくなることもこっちの勝手にできるんですよね。

でも、今日も今日とてめっちゃ好き。

手越祐也くんマジで最高の自担。

って言えちゃうのがシンプルに幸せだなと思ったってことに尽きちゃう。

尽きちゃうんですけど、もうちょっと言いたいから言います。

手越くんのどこが好きとかいうのはもっとちゃんと言いたいのでここでは控えますが、
アイドルを好きでいることって本来は究極の独りよがりだと思うんですよね。

繰り返しになるけど好きになるのも嫌いになるのも自分勝手にできる。

だけど、こう、手越くんを好きでいると凄い相互感を得られる。

私がこの人を好きでいることは、必ずこの人に届いてるんだっていう。

それだけじゃなくて、好きでいることで変われたり強くなれたり、少し先の未来を心待ちにできたり、
それを一方的にではなくお互いに出来てるなと感じられるんですよ。

急に自分の話になりますけど、元来めちゃくちゃネガティブなので、
一回落ち込むと結構些細なことでメンタルがマントルまで到達しちゃうんですが、
そういう時に改めて、あぁ自分のこと嫌いだなって認識するし、
そもそも好きな時あったのかよってなる。

だけど、それと同時に自分のことを好きになりたい自分が、
「ほら、お前の好きなお前だよ」って連れて来てくれるのって、
大体「手越くんを好きな私」なんですよ。

手越担になる時に、手越担であることをアイデンティティにしないと決めたし、
今でもそうなってしまってるんじゃないかって恐怖を抱くことはあるけれど、
それが怖かったのは、自分のアイデンティティのウェイトを
手越担であることに全振りしたくなってしまうほど、
手越担であることが自分にとって大きいからだし、
その時はアイデンティティを他人に委ねたくなるくらい、
自分と向き合う強さがなかったからなんだよなと。

今では手越担であることも確かに私のアイデンティティの一部だし、
それを全てにはしないと思えるくらい自分ってものがわかって来たような気がしていて、
その上で手越担である私を好きでいられてることが、
とても幸せだと思う。

流石にもう四次元ポケットがないことは
わかってるんだけど、そうやって現実が辛くて、
夢の中に逃げ込見たくなる時に、
ドラえも〜〜ん!って言う代わりに、
心の中で「手越く〜ん!」って呼んでる自分がいて、
無意識すぎてたまに怖くなるんだけど、
何となく、呼ぶだけで強くなった気がしてしまう、私のひみつ道具だ。

相互感と言ったけれど、同じ時代に生まれて、
同じ時を過ごしてるだけで幸せだと思えてしまうのに、
同じ日を楽しみにして今生きてるんだなと思うと、それだけで胸がいっぱい。

いろんな幸せの形があって、それこそ年末年始なんてそれが浮き彫りになるような時期だし、
「大切な」という枕言葉は手越くんにとってもそうであるはずで、
以上を踏まえて自分と自分の好きな人の幸せの形が一致してるって、
えっやばいどうしよう宇宙一の幸せ者かもしれん。

という感じで、クリスマスから年末年始、
明けてからもNASAが打ち上がるほど美しい恋したいと思います。





さっきから!!!!気づいてるよ!!!!夜空にぎわす手越くんの羽根!!!!

早く会いたい!!!!