希望と媚薬

『愛の反対は憎しみではなく無関心です/マザー・テレサ』 『批判書いてる間は俺の事を考えてる。だから俺の事好きなんだなって変換してます/手越祐也』

僕らの果てまでQ&A

この1週間程、退勤10分前くらいになると、
急に涙がこみ上げてくるので風邪もひいてないくせにマスク常備で
こんな社会人は嫌だ2018にノミネートしていたりしていた。

私は、基本的にはNEWSと自担のことを考える合間に
仕事をしているようなどうしようもないオタクであり、
こんな新入社員は嫌だ2017グランプリを受賞しているほどだ。
普段であれば、仕事中に流すとしたら、やっと業務が終わり
退勤して帰ってNEWSを見れる!という嬉し涙であろう。

けれど、初めてずっと仕事をしていれば、
オタク事に向き合わなくてすむのにと思った。


それでも記憶力は好きなものに全振りしているので、
今日が何の放送日なのかはちゃんと把握していたし、
その時間になれば、あぁ今、放送開始したなと思っていた。
帰ってテレビをつければばっちり録画されていることが確認できた。

ただ、それを見ること、聴くことができないだけで。

見るのが辛いというわけではなく、むしろその逆で、
それらを見聞きすればきっと楽しんでしまうし、
昨日よりずっと好きになることはわかっていて、
顔を見れば考えるより先に「好き!!!!」となってしまう。

頭の中でどれだけこねくり回そうが、触れれば「好き」が溢れてしまう。

私にとって、「目に映るものだけが真実」とはこのことだ。


と、思った。




思ったんだけど、少しの前のブログに、
「大好き」だけのファンでいられたらよかった
でもそれがどうしてもできなくて、
シンプルでいられないからこそ自担と書いた。

だから、そのままでいられなかった。


つまり、シンプルに「好き」でいたくなかった。



これは私と、「わたしのアイドル」の問題だ。




答えはどこにも、ヤフコメにもGoogle検索にもどんな質問サービスにもSNSにもない。

私の「好き」を誰にも頼ることはできない。


この問題を解決するのは、どうしたって私しかいないのだ。


私は、基本的には好きなアイドルがこの地球に生まれて
同じ国に生まれて、それだけでハッピーなオタクだ。
だけど、こんなにも同じ国に生まれたことを辛く感じることも、
今同じ国にいないことを良く思うこともないだろうなと思った。
この国に生まれなければとすら思った。


好きなら好きな「だけ」でいいと思うし、
こういうところが自分の面倒くさいところだとも思うし、
私は今までも何度も何度も何度も何度も
考えて考えて考えて考えて、「わたしのアイドル」
自担である手越くんに対する、
自分の「好き」と「嫌い」を
咀嚼して愛して決着をつけようとしてきたのだ。

「好き」と「嫌い」と二つに分けたけど、
ここが「好き」じゃなくなったから「嫌い」とか
ここが「嫌い」だから「好きじゃなくなる」とか
そう簡単に半分に分断できるわけでも、
二極化して、一言で表せるわけでもない。
一口で飲み込めたらそもそもこんなに噛んでないわけで。

そうやって、色んな角度からみて
全てを好きでいられるなんて最初から思ってない。
私にも色んな面があるから、その全ての自分で
100%好きでいられるなんて無理なのだと思う。


私はずっと私の「好き」に対して完璧になれないし、
完璧に好きになるなんてできない、けれど
完璧に好きでいられなくてもいられるから「好き」


と、ひとまずの結論を出して手越担をやってきた。

いや、やってきたとかいってこれ分かったのも去年とかだし、
そもそも手越担に「なった」のも去年なんですけど。


この考えは今も変わらない。



でも、こうして放ってきた様々な「好き」達が、
その「好き」を感じる場所にブーメランとなって突き刺さって、
何もかも分からなくなってしまった。

嘘をついてるわけじゃない、それは本当。
どれだけ綺麗事に聞こえても、本心から言っている。

けれど何かを言うたびに、好きだと思うたびに、
ブーメランが突き刺さった場所から感情が噴き出したし
何もかも分からないのに、変わらず
「好き」なことだけは、分かっていた。

だからずっと痛かった。


これまでも何度か言ってきてるし、この考えは
何かのファンというものをやっている以上一生変わらないけれど、
私はファンである前に、好きなアイドルの
人生と時間を買ってる消費者だと思っている。

買ってない上に、元から商品でないものにクレームはつけられない。

だから、今回のことに関しても音源を聞いてないし、
上記の考えを元にすれば、商品でない以上買うこともできないし、
それが盗品であればなおのこと、
「裏切られた」などと考える基盤が私の中にはない。


それでも、一気に分からなくなってしまった。


色々あっても、できるならできる人がしたほうがいいと思って、
出来るだけいつも通りにしていたし、
感じてないわけじゃないけど、言わない。
ポジティブなことしか表には出さない。

そう思ってやってきたけど、それは、側から見たら逆効果だったのか、
私がそうすることで、反省してないとか
余計に悪い印象を与えてしまうのか?とも思ったし、
そう思う時点で、悪い印象って、私自身も思ってるんだよなという事に打ちのめされた。


好きだと思う気持ちに、全肯定したい想いに
追い重なるように
その好きを指差して嗤い、全否定して貶める
逃れようのないもう一人の自分の声がする。



なるほど、これが私の中の悪かと思った。


世間に向かって大嫌いだと言ってやりたいけど、
世間は私の中にもあって、「わたしのアイドル」も含めて世間の一部ってことが辛かった。


それでも、考えないなんて出来なくて、
考えて考えて考え続け考えまくって、
私が出した答えは、「答えを探し続ける」だった。


これまでと何が違うんだと言われれば、
それを探し続けるという自覚をしていることだ。


今までは、無意識に積み重ねていたり、
ひとつひとつ拾い上げたり、整えてみたら、
あぁこれが答えだったのか、ということが多かったと思う。


しかし、他の誰でもなく、どのレンズも通さず、
自分の目で見てきたもの、自分の中に育ててきたものを踏まえて、
それでも信じたいと思う私が出した「問題」


これからは、意識的にその答えを探すということになる。


答えは答えであって、「正解」ではない。
この問題に対する解答出せるのが私だけしかいないように、
「正解」かどうかを決められるのも私なのだ。


正しいのか、間違っているのか、
それを決めることに対しても本当は
答えなんてないのかもしれないけれど、
出題した以上は「正解」を目指していくしかない。

それは、誰かに「やれ」と言われたわけではない。

誰かに「なれ」と言われて好きになったわけではないように、
好きでい続けるのもやめるのも誰かじゃなくて自分の意志だから、
私は私に出したこの問題を、解き続けたいのだ。


それは、つまるところ「好き」でい続けたいってことなのかもしれない。



何があっても、私は「わたしのアイドル」に対して、
「好きでいさせて」なんて言わない。



私が手越くんを好きでいるかどうかは、私が決める。


それで、私は、あなたを好きでいたいんだ。

今までもこれからも好きでいる、好きでいたいよ。


このしんどい期間、NEWSを見られないので、
撮り溜めてた映画を見てたりしてたんだけど、
時に不幸になるのって割と簡単で、幸福でいることの方が難しいことがあるよなと思った。

私はかわいそう、私は不幸、何で私だけ、全部あなたが悪い、私は悪くない。

ひたすらそう思った方が楽な時がある。
「嫌い」って案外、居心地がよいのだ。
だからこそ私の中の悪も存在するのだと思う。


「好き」に向き合うのも、「嫌い」を知るのも、
最後には「あなた」ではなく「自分」に向き合い、知ることになる。


それは、きっと簡単にも難しくも出来るけれど
私にとっては難しくて、とても苦しいことだ。


だけど、どんなに苦しくても選んだ幸福が
多分、一番欲しくて、離れられなくて、
自分にとって必要なものだったりする。


私と「わたしのアイドル」の物語が始まったも、
世界一幸せなクエスチョンからだったな。

それに対するアンサー、同じクエスチョンを返せるようになることが、
私が手越担になるってことだった。


不思議なことに手越担になると決めた後、
ずっとどこかで降りる先を探していたのに
降りてもまぁそうかもねみたいな今の方が、
全然楽しいし好きだし、手越くんしかいないなと思う。


だから、この答えを探し続けたその果てに
何が待っているのかは分からないけれど、
この「分からない」って気持ちも私の中の悪も抱いて、
悩んでしんどくて咀嚼して、死ぬほど考えて、
辿り着いた時、私のレンズに映るのが、
他でもなく「手越祐也」だったらいいと思う。