希望と媚薬

『愛の反対は憎しみではなく無関心です/マザー・テレサ』 『批判書いてる間は俺の事を考えてる。だから俺の事好きなんだなって変換してます/手越祐也』

君こそ我がプラトニック

 
※このブログはNEWSTOUR2018 EPCOTIA
手越祐也くんのソロにおける演出考察ブログです。
つまり盛大にネタバレしています。また私的解釈が含まれます。
そんなぁ~~!というかたは、アテンダントコールボタンを押し、EXITからご退出お願い致します。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
OKですか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
オーーーーケーーー―ーイ!!!!ということで(?)
ここからはギャンギャンにネタバレしていきます。よろです。
 
 
さて、
まずツアーが始まる前のソロ演出に関するインタビューで
「登場はサプライズ的なもの、どこから出てもいいと思ってる。」
と本人が答えてて、その時点でおよよ?とは思ってました。
 
あっ、これは「あるな」と。「降臨(お)りるな」と思ってたんです。ワンチャンスだなって。
 
でも、手越くんってアイドルになるために地上に降臨した天使だし(真顔)
ついにその背中に生えた羽根が隠し切れなくなり、ワイヤーで上からつられて…ない!?
 
 
お、"""降臨"""りてる…………!!!!
 
 
て、手越く~~ん!バレちゃうバレちゃう><手越祐也は天使だってことが、宇宙の果てまで
知れ渡っちゃうよ~~~><っていう可能性もね、無きにしも非ず。って思ってました。
 
なんだかんだ手越くんも地上に舞い降りてから
人間界の時間軸では30年経つわけだし?
そろそろ腹くくってまずは降臨の一つでも
ファンの前でならしてくれるかな?とか思ってました。
いや別に今もその可能性全然捨ててないですけど。今回はアレだっただけで。
 
 
そして発売されたEPCOTIAを聴き、ソロについて
口を開けばThunderThunder言ってましたが、
プラトニックもね、第一印象から決めてました(?)
 
昨年末のNEWSICALで習得した多重録音を早速(←愛しい)
透明なバラードへ進化させ、
低音から高音、囁きから語り掛け、
泣くようなヴィブラートから芯まで貫く絶唱まで
手越祐也の歌声の魅力と表現力の高さが余すことなく味わえる作品である。

あとまた恋がうまくいってない。どうした。
なんか不条理な思いしてるなら忘れるくらい抱いてもらえばいいと思うよ?(そしてバンビーナへ…(やめろ))
 
 
唐突で申し訳ないけど、Perfumeが好きって時点で何となく察してほしいのだが
私は基本的にバラードが苦手である。
 
曲の表現としてとても素敵だと思うし、
一アルバムに最低一曲は必要だと思う。
なのにどうも苦手というか、アルバムの中で
一番大好きな曲になることはまずない、ほぼない。
 
あった方がそれらしいと一目で分かるけど別に好きなわけではないという、
そう、例えて言うならおでんのコンニャクである。
メニューにあるから一応頼むけど実食したらまぁ…みたいな。
 
しかし、手越祐也のバラードは、私にとっては他と全く違う。
端的に言えば、理由は手越祐也だからに尽きるんだけど、尽きちゃうんだけど
まず歌がハチャメチャにうまいし、歌詞の内容関係なく、
その歌声に含まれる成分が、どうしようもなく胸に沁みる。
どれくらい沁みるかっていうと親父が30年間リヤカー引いてきた屋台のおでんより沁み渡るのだ。
 
しかし、どうして恋はうまくいかないのである。
どうした。課金でもするか?
(NEWSに恋してなら課金すれば大抵のことはうまくいく)
 
そして毎日毎日再生して聴きなれてくるうち、
出来もしないくせに多重録音を聞き分けたくなるのが
オタクのSAGAである。
 
それでも繰り返し聴いていれば、何となく
「手越くんがいっぱいいるな☆」くらいの認識から、
「手越くんが大きく分けて4人くらいるな??」
内訳としては
高いの1人/高め寄りの1人/低め寄りの1人/低いの1人
がいるな?くらいの認識になった(ひどすぎ)
 
ツアー初日までは友達とその認識のもとで
 
「4人いるうちどの手越くんがいい??///」
 
『私は低めかな~!』
 
「じゃあ低也くんあげるから私は高也くんをセットでもらうね///
低音もいいけどやっぱり手越くんの高音ってフランダースの犬で天使がファラファラ~~って迎えに来る時の光の具現化じゃん??///当日もあんな感じで降りてくると思う////」
 
って手越くん分け合ったりしてた。平和極まりない。
 
 
 
 
 
そして迎えたEPCOTIAツアー初日。
記念すべきEPCOTIAライナー初搭乗にして
NEWSの初日というものに参加することも初めてだった。
 
初めて尽くし。
「まだ見たことのない」世界がそこに待っている。

本編に関してのネタバレは多分5月20日以降
めちゃめちゃするのでおおっぴらには控えますが、
3人が順調にソロを終えて、残すところ手越くんのソロのみとなった。
 

控えると言っておいてなんだが、手越くんのソロは
完全に次が手越くんのソロですよと分かる状態で始まる。
(今思えばこれも彼、そしてNEWSの優しさである)
  
 
 
 
そして、いざ会場が暗転、
客席にスポットライトが当たった瞬間
 
 
 
 
私は

 
 

「やっぱりな!!!!!!」

 
 

と思った。ぶっちゃけアンドロメダより思った。
 

手越くんがサプライズすると言ったらもうこれしかないだろうなって、
ええ、ええ、分かってました本当は。
 

ただ、私が内心で客席降りをあんまり…と思っていたのは
客席降りを単なるサプライズ、ファンサービスであり
「演出ではない」と思っていることが根本にあったからだ。

手越くんがファンを驚かせたい、喜ばせたい
という気持ちで動くことなら
私は基本ウェルカムウェルカム僕ハニカムOK~なので
手越くんがしたいのであれば「客席降り」も
勿論ウェルカム以下略に間違いない。
 

だけど、ただ、動いて?

とは思った。
 
 

初日はスタンドに登場した後、そこから一歩も動かず
時折スタンド上と下の交互に視線をやって歌い続けるのみだったので
それはそれで最高の見どころではあるのだけど、
正直顔しか見るとこないなと思っていた。
 

ので、顔だけ見ていた。
カメラマンさんと、はちゃめちゃに気が合った。(ハイタッチ)

唯一の動きといえば、歌詞の「君だけを」で
1人に手を差し伸べるところ。

歩くかと思ったら歩かんのかい!顔がいいし歌がうまいな!萌え袖!
というのが、初日をみた率直な感想だった。
あととにかくザワつきが凄くて、およよという感じ。
それは、どこかで客席降りと分かっていた時から
予想できたことではあるけれど、想定以上だった。


私がソロ曲において、これ映像化したら飛ばしちゃうだろうな演出No.1と感じるのは
「終始立って/座って歌ってるだけ」のものだ。
 
もちろんそれはその曲にとってその演出が最高のものだからであることは十分に理解している。
 
けれど、言い訳になってしまうがやっぱり私はバラードが得意ではないのだ。
自分でも基準が分からないけど、Lovi'n U(ギター)はほとんど飛ばさないのに
あなた(ピアノ)はほぼ100の確率で飛ばしてしまうし。*1

ステージから客席に場所を移しただけで、
それに近い、というかほとんどそれだったので
あぁ動かないのか…という悲しみはあった。

プラトニックという曲がやっぱり手越祐也
最新が最高なのだと実感させてくれるものであり
とにかく好きだったので、それだけは悲しかった。
 

繰り返しになるが、それは私が
客席降りを単なるサプライズ、ファンサービスであり
「演出ではない」と思っていたからだ。

また、もっと言うならこの時点では歌詞を咀嚼しきれておらず、
いつもの「うまくいかない恋の歌」とはまた違う「恋」を歌ったものだと
自分のなかで設定していなかったからというのもあると思う。
 
 
 
しかし

その考えは、たった1日後に覆された。
 
 


なぜかといえば、手越くんが歩いたからである。
 


うん、いや、なんだそれとお思いでしょう。私も思う。
急にアメブロの育児カテゴリーに飛ばされたのか?と
URL確認された方がいたらすみません(いない)
基本当ブログはそういったテンションでお送りしていますが
今回に限ってはあんよがじょうず♪的な意味ではないのです。
 

札幌2日目のソロにおける変更点は、登場場所*2もだったが
スタンドのほぼ端から端まで歩くという動きが加わったことだった。

ただそれだけ、それだけなんだけど、
昨日見たプラトニックとはまるで違うと感じた。

一言で言えば、違和感があった。

ファンの間を歩いてはいるけど、同時にカメラ目線も
バッチリしていて、ファン1人1人とはほぼ目を合わせない。

手を伸ばせば、簡単に触れられる距離にいるのに。

同時にファンも手を伸ばさない、否、伸ばせないのか。

手越祐也とファン、
その間に透明なバリアが張られているように。


万が一誤解されたらアレなので書いておくが、
手越祐也というアイドルはファンサービスをあまりしないアイドルではない。
むしろその真逆である。
 
彼のファンサービスは、なんというか、すんごいのだ。

具体的に内容が、という話ではなく
本当に幸せそうに、心から楽しんでファンの内輪に応えていく。
それだけでなく1秒の時間も惜しまず、
ずっと手を振りつつマイクを通さずともお礼を言うし
とろけるようなニコニコ笑顔で愛おしげにファンのことを見ている。
 
私はそんなファンサしている手越くんを見るのが大好きなんだけど、
もう、どうしてそんなに?って
泣きたくなるくらい、まっすぐな優しい笑顔で
見ているとすぐに、まるでトンチの働かない一休さんになってしまう。
(好き好き好き好き好きっ好きあっいーしてる♪)


つまり客席降りが、単なるファンサービスであるなら
手越祐也というアイドルがファンのことを
ほとんど見ないなんてことは有り得ないのだ。

そして単なるサプライズであるなら、
もっと近付いてステージの上からではできない
密なサービスだって出来るだろう。
 

しかし、彼はそれをしない。
 

基本的にカメラに顔を向けて歌いながら、時折ファンに微笑みかけ
また歌いながらファンの間を歩いていく。

彼を追いかけるカメラも彼の顔に寄っているので
モニターをずっと見ていれば、視界に入るのはほぼほぼ彼だけだ。
完成された優しい世界である。


そしてファンの間を歩いて歩いて、最後に彼は手を差し出す。
 
 
 
どうして、彼は「客席降り」という この絶好の機会に
およそ「手越祐也というアイドル」らしからぬことをするのだろう。
 
 


それは、「彼」が手越祐也であって手越祐也ではない。

正確には、手越祐也「だけ」ではないからだ。
 

プラトニックの歌声はおおよそ4つに分けられると先述したが、
コンサートにおけるプラトニックにおいて
 
この4つの歌声はそれぞれ

手越祐也
「ファン」
手越祐也の中のファン(像)」
「ファンの中の手越祐也(像)」

を象徴していると仮定する。


手越祐也」「ファン」は、本当にそのままの意味だ。

手越祐也の中のファン(像)」「ファンの中の手越祐也(像)」もほぼその通りの意味なんだけど
この2つが大きく違うのは、
恐らく「手越祐也の中のファン(像)」は一つだけであるのに対して
「ファンの中の手越祐也(像)」はファンの数だけいることである。

パブリックイメージという言葉があるが、それだけでなく
そこから一歩踏み込んだファンの中だけで共有されるアイドルのイメージがある。
だけど、更にその大枠の中には無数のアイドル像が存在し
それはやはり、ファンの数だけ存在すると言っていいだろう。


コンサートは長くて約3時間30分程度、*3
元より「去りゆく時間」であり、
そのなかでファンサービスを受けられるかどうかは
誰も保証することのできない「契りのない夢」だ。

「悲しい恋"で"いいの」
「短い夢"でも"いいの」

きっとこの想いを恋や愛だとするならば、
叶わないことはもう解っている。

去りゆく時間や契りのない夢は、短くてもいい。

たった一言だけでは変わらない未来と知っていても、
「明日」の君に届くように願う。
 

どこか諦めるように「〜で(も)いい」と繰り返していたのにここで初めて
「醒めない夢"が"いいの」とはっきり願いを口にしている。

その「明日」が出来るだけ多く積み重なって
「醒めない夢」へと変わりますように。
 
この醒めない夢とはつまり、せめてこの願いが届く距離に、場所に「彼」にいてほしいということだろう。
 

私はアイドルではなくあくまでファンでしかないので、
アイドルの歌を聴くときにファン側からの解釈しかできない。
 
この曲に対してもファンとしての解釈しかできないと思っていたのだけど、
4つの視点から成っているとすると、ある歌詞はもうひとつの視点から歌われているとも読み取れる。
それが以下だ。
 
優しい歌がいいと
作り笑いして言うから
今夜は涙を堪え喉を鳴らす
明日の君に どうか
届くように
 
ここで「優しい歌がいい」と言っているのはファン、そして「手越祐也の中のファン(像)」なのだとする。

私は「手越祐也」は解らないけれど「手越祐也の中のファン(像)」は多少なりとも解る。
「彼女」であり「ハニー」であり「ダーリン」であり「子猫ちゃん」
そして「彼女とかハニーとかいうけど、それ以上」だ。
 
本当に伝えたいことを隠して「優しい嘘がいいの」と作り笑いをする「君」に
届けられるのは「優しい歌」しかない。
 
だからこそ、心では涙を堪えていたとしてとしても喉を鳴らす*4のだ。
 
手越祐也」、「ファンの中の手越祐也(像)」として、
そばにいられる時間が時間が去りゆき、いつか
「自分のいない明日」がきても、どうか届くようにと。
 
 
このように、一つの歌詞に一つ以上の解釈が重なっているのは
さながら「アイドル」と「ファンの数だけあるアイドル像」のようだ。
 
 
それを表現する一つが、彼が着ている衣装だと思う。
プラトニックの衣装を端的に表現したときに
ZARAのキッズ服を男の子コーナーと女の子コーナーを足して二で割った感じ」
と書いたことがあって、その時は特に深く考えずに
ただ見たままの印象から言ったのだけど
考えれば考えるほど、彼が二つの意味を重ねて着ているとしか思えなくなってしまった。
 
 
白地に黒の花柄シャツ、青チェックのベスト。
 
 
アイテムとしてはそれぞれ、それこそ男の子コーナーと女の子コーナーに置いてあっても違和感がないだろう。
 
「青色=男性性」だなんて古臭いジェンダー感振りかざしたくはないが
チェックというユニセックスの柄にあえて青を基調にしたことで
「一人の男としての手越祐也」「アイドルとしての手越祐也」が
格子状に表されているのだとしたい。
 
そして花柄もまた現代となってはユニセックスな柄だろう。
モノトーンであるというのがさらにそれを加速させる。
加えて、いかような色でも表現でき、鮮やかな色の印象が強いこの柄を
「黒」という一色。あえていうなら没個性ともいえる、
どんな色も飲み込んでしまえるこの色にしたのは、十人十色というように
彼には老若性別国籍問わず人間もしかしたら宇宙人、
様々なファンがついているからなのだろう。
 
 
 
 
そして、
「最後に交わしたキスの名残が切なくする」
から、彼の声は一つになる。
 
 
手越祐也」と「ファン」
手越祐也の中のファン(像)」と「ファンの中の手越祐也(像)」
 
全てが重なって「私だけのもの」という存在になる。
  
 

「想いのままに言えないんだろう」

 

好きな人を目の前にすると、何も言えなくなってしまう。

これだけ聞けば、ありふれたよくある話かもしれない。

 

ただ、ファンがアイドルを目の前にして思考が飛ぶ、声が出なくなる、全く動けなくなる。

のは、日常的によく遭う出来事とはいえないだろう。

何故なら、その人が本当に「存在」すると知るからだ。

 

主に画面を通して、そしてあらゆる媒体を通して
そして自分の中で愛しさを育ててきた
その人が、まさに目の前に現れる。

大好き、あなたを好きになってよかった、愛してる…例えば

普段どんなにそう思ってたとしても、
いざその人を前にしたら何もできなかった。

 

想いは沢山あるのに、どうして何も言えないんだろう。

そういう体験をできるのは「ファン」だからだろう。


そして、アイドルもまたステージに立っている以上
例えば一人の人間としてなにか思うところがあったとして
または、アイドルとして言いたいことがあったとしても
全ての想いそのままに思ったこととして言えることは少ないだろう。


特に、人間としては。
ある意味では人間のままではステージに立てないのだから。

 

それに「どうして」と歯痒さを感じることもあるかもしれない。
だけど、それもまた「アイドル」だからこそ
できる体験でもあるのだ。

 

この曲において、最大の愛情表現は
「最後に交わしたキス」である。

ならばどうして、彼は「手」を差し伸べるのだろう。

「アイドル」と「ファン」が、キスをすることはできない。
抱きしめ合うこともできない。

それらは「投げキス」や「エアハグ」といった形で昇華されるけれど、
肉体と肉体として、一人一人に確実に届けることは難しい。

互いに直接相手に触れられることを公式*5に許されているのは
「手」だけなのである。
 
 
"2人がいいの"という願いを叶えるように、
「君だけ」に差し出された手。


彼はカメラを見ない、カメラも「君」を映さない。
 
"このまま"、私だけのいまが続くかと思ったその瞬間、
彼はカメラに視線を戻して笑顔で、醒めない夢の中に返っていく。
 
 
差し出した「綺麗な嘘」で抱けるのは「今夜(いま)」だけ。
 
嘘はつき続ければ綺麗なままで、
自分は誰のものにもならないからこそ、誰のものでもいられるのだと。
 
 
けれど、「離れないでね」と遠く流れる歌に願いをこめているのも
きっと「私だけ」ではないのだ。
 
 
醒めない夢のなかで「君だけ 感じたい」と互いに
悲しい、叶わない、だけど、美しい恋をしている。*6
 

ならば、「味わったことのないような」この痛みに何と名前をつけよう?
 
恋だとしてはいけないなら、だけど確かに愛であるのなら
 
 
 
 
その答えは、やはり「プラトニック」しかないのだと私は思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

*1:たまにピアノ椅子の高さを確認して愛しさで胸をはち切れさせることはある。

*2:公演ごとにランダムになるガチャ方式。スタンド通路/アリーナ登場→ステージ登壇/MC終わりにステージに登場→そのままステージで披露。ステージに上がる場合は、会場全体を「君」として手を差し出す。

*3:プラトニックは3分23秒で終わる

*4:喉を鳴らす=エッジボイスを使った発声法には手越祐也の歌唱において近年殊に特徴的であるシャウトやデスボイスがある

*5:ジャニーズ事務所に所属しているNEWSの接触イベントで最高レベルの接触は握手

*6:「特定の1人を愛すること(囚われた愛)よりも、美のイデアを愛すること」ープラトンが説いた優れた愛の形