希望と媚薬

『愛の反対は憎しみではなく無関心です/マザー・テレサ』 『批判書いてる間は俺の事を考えてる。だから俺の事好きなんだなって変換してます/手越祐也』

アンパーフェクト・ハニー アンパーフェクト・ダーリン


お題「わたしのアイドル」

確か1月くらいの今週のお題が「わたしのアイドル」だったと思うのだが、
その時に書き逃してしまったので諦めていたんだけど
何となくお題スロットを回していたら出てきてくれたので
去年から考えていたことを書いて形にしようと思う。


死のうと思っていた。
ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。
着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。
これは夏に着る着物であろう。

夏まで生きていようと思った。

ー「葉/太宰治」より


私にとってアイドルの存在は
「正月にもらった麻の着物」だ。


NEWS担的に言うと
「カウコンで発表された春ツアー」になる。



そして、私が100%純粋に
「わたしのアイドル」だと言い切れるのは
この世でただ1人、手越祐也だけだ。




去年の年明けに「麻の着物」をNEWSからもらった2ヶ月後、
メモとかを溜めている倉庫のような非公開ブログに
ただ心から吐き出されるままに書き殴ったことがある。

今も、読むと書いた時の気持ちと書いた場所
被った布団の中の息苦しさが蘇ってくる。

公開することはないだろうと思ってたし、
いっそ消そうかと思ったこともあるけど、
どうせ誰にも見せないんだからとそのままにしていた。

ただこのエントリーはそれを置いておかないと成立しないので
以下に一部抜粋するが、チラシの裏よりひどい
から
読み流してもらうか、もしくはそのまま読むのを辞めてもらって構わない。

それほど、いつにもましてぐちゃぐちゃだ。

とてもしんどい。

何がしんどいかっていうと、何だろう。
特にこれといって理由はない気がする。
けど、全くないわけじゃない。何だそれ。


本当にこんな自分全然好きじゃない。全然。
楽な方、楽な方ばっかりに逃げてやりたくないことは後回しで。
元々そんなできた人間じゃないというのは重々承知だったけれど、輪をかけてひどい。

好きなことの為なら何でも出来ると思ってたし、その気持ちは変わらないのに、なのに何で出来ないんだろう。

QUARTETTOの広島公演のアンコールラストの手越くんの挨拶がずっと頭を回っている。

「元気与え続けるから」って全然そんな言葉今の自分には相応しくないし
そんなの受け取れない。だって頑張ってないから。

頑張ってないのにそんなご褒美みたいな言葉だけ貰ってズルイ人間だし、
罪悪感って言葉が適当かは分からないけれど
そういう気持ちばっかりどんどん膨らんで
大好きだし、嬉しいし、あぁやっぱり好きだなって思うのに余計に苦しい。

だからここ一週間くらいずっとQUARTETTO見れなくて、
だけど、見れない理由がハッキリしてしまったら
全部が辛くて眩しくて見れない。そんな資格ないじゃんって気持ちばかり増えて行く。


自慢のファンでいたい。
何よりも応援していることに胸を張れる自分でいたい。
手越くんの言葉とか、慶ちゃんの煽りを受け止めて
明日から頑張る力に変えられる自分でいたい。

今の自分が嫌いで仕方ない。全てが。
元々嫌いだけど、でも全部ではなかった。
頑張ってるじゃんって思える時もあったし、
だからこそ辛い時は好きな人達をみて幸せになれてたのに
今は好きな人達を見ても、ただ辛いばっかりで幸せになれない。

本当にしんどい。けど全部自分のせいだから誰にも言えないし、誰のせいにもできない。

手越くんを好きな自分が好きなのは本当だけど、
今は好きじゃない。好きになれない。苦しい。

頑張らなきゃ。好きな自分になれない。

ツアーもいけない、このままじゃ会えない。
会っても苦しいだけだし罪悪感が膨らむだけだし、
もっともっと頑張って辛くなって自分に厳しくならなきゃいけないと思う。人よりも。


自分が気持ち悪くて仕方ない、顔も体型も全部気持ち悪い。

こんなんじゃダメ。努力しないと。

しんどいって可視化したら涙が止まらないけど、何泣いてんのって気持ちもある。


辛いなぁ。

要約すると、ただただつら〜いということしか言っていないのだが
この約1週間後にダイエットを宣言するブログを書いた。

その時点で、今すぐ頑張れることと言ったら
それしか思いつかなかったからである。


書いた時はどういったペースで進めていくかとか
目標もとりあえず10キロ痩せたって言ってみたいくらいのもので
そこまで具体的なことは決めていなかったけれど
ブログを見かけたとあるサイトの編集さんから声をかけてもらって
連載に発展することになった。

連載のテーマは「ツアーのオーラスまでに10キロ痩せること」

ダイエットについて書けることは連載で書きき切ったし
書いてないことは今後も書いて残すつもりはないんだけど
なんやかんやで何とか目標を達成して、
NEVERLANDのオーラスはマイナス10キロ痩せた自分で迎えた。


正直に言うと、めちゃくちゃ大変だった。

その時期は、基本的に
朝出勤夜まで仕事→夜行バスで遠征先へ→コンサート→夜行バスで帰京→一旦帰ってそのまま仕事へ向かう生活をしていて
仕事の休憩時間や通勤中、夜行バスに乗っている間に
連載の原稿を書く時間を捻出していた。

それ以外は筋トレとか自炊と筋トレ、
ダイエット関連の情報収集をしつつ筋トレ
あとは主に筋トレをしていた。


オタク的にも色々思うところのある期間で、
肉体的にも精神的にも目まぐるしい日々だった。

でも、間違いなく今までの…といってもそこまで参加したことないけど
NEWS担になってから参加したツアーの中で、
特別なものとなったし、とても大切な思い出だ。

今でも NEVERLANDの曲を聴くと、
一瞬のうちに起きた想像もしてなかった奇跡と
今でも申し訳なくなる大事な忘れ物とか
一人泣きながら歩いてホテルへ帰ったこととか
後悔で吐きそうになりながら深夜バスに乗り込んだこととか
バスに間に合わないかもって初めてギリギリで会場抜けて停留所まで走ったこととか
体じゅうの水分がなくなるくらい泣いて泣いて
会場から出た時も足元が震えて覚束なくて
浮遊霊ってこんな感じなのかって思ったこととか

殆ど各地の会場外で起きたコンサートの時以外のどうでもいいことだけど、
その時の感情や会場の空気も鮮明に思い出す。(だいたい泣いてる)(楽しい面白い笑える思い出も勿論あるけどそれはだいたい書いてる)


そして今でも、U R not aloneを聞くと
「それでいいの? 目指す場所へ行くと決めたんだろう?」
「自分で決めたんだ」って何度も誓い直したことを思い出す。



ここで、少し本題と逸れるが、
このツアー期間中にあった様々なことに対して
当時askに答えたりポエントリー*1を書いたりした。
まぁその時とあんまり変わらないんだけど、
今思ってることを少し書いておきたい。


起きたことに対して傷ついたと感じるのは自由だし
傷つかなかったといえば嘘になる。
だけど私は、私の好きなアイドルから"傷つけられた"とは思わない。
これまでも、きっとこれからも。

「傷つけよう」と思ってやったことなら、もしかしたら
その意図通りに傷つけられたと感じるのもしれない。

でも恐らく私の好きなアイドルはそんなこと全然思ってないし
きっとただ懸命に「そのまま」生きようとしてるだけで
傷つけよう、どころか自分がボロボロになっても
傷つけてごめんねって言う人だから
そっちのが傷ついてるくせにってちょっと怒りたいくらい。
傷つかないでいることが無理な世界にいることも
その世界にいながら傷つかないように生きることが出来ないことも
知ってて分かっててそれでも、
その世界にいることが幸せだっていってくれることを
迷いなく幸せだと思うし、その幸せを当たり前だと思いたくない。

辛い時に辛いと言えるのは、弱いってことじゃない。
弱さを見せられることは、強さでもある。
自分がそれをできないから余計にそう思う。

でも強くあろうとしてくれるところも好きだから
見ないふりして、たまに弱いところを見せても嫌いになんてならない
大好きだよってことだけ伝わっていたらいいと思う。


元々アイドルに対して、「アイドルという夢」を
完璧に見せていてほしいタイプのオタクで
現実は覆い隠して忘れさせてほしいと思ってたのに
本当何でなんだろうなって思うんだけど、
私にとっては私の目に映る「手越祐也」という人そのものが、
そのまま私のみたい「夢」なんだ、きっと。


さて、 散々ポエったところで本題に戻ろう。

NEVERLANDツアー、仕事と連載とダイエットと
慣れないことばかりのハチャメチャな日々で、
でもハチャメチャに幸せだった。

自分には出来ないと思ってたことが出来たり
会いたいと思ってた人に会えたり
行くことを考えもしていなかった場所へ行けた。

全部、独りでは成し得なかったことだ。


そして、ツアーの間は先の文章にある
「ズルさ」を感じなくて済んだ。

だって自分で言うのもなんだけど、頑張っていたから。

「何かを頑張って」いれば、そして
その負荷が大きければ大きいほど、自分に資格があると思えた。


どうか、これを読んで誤解しないでほしいと思うのは
そうでないと私が私を許せないだけで
他の人に対しては資格とか会う権利とか
そういうことは微塵も思わないし考えもしないということ。

それは誰の為でもなく、私が私を楽にするために
一人で自分勝手にやっていることだから
同じように感じる人はむしろいないほうがいい。
ただ、私はどうしても自分に対してだけは自由を与えられない。
世間のこうしなければいけないというのを嫌悪しつつ
自分に対してはそれらをいくつも抱えている。
一言で言えば完璧になれない完璧主義者である私は
どうしてもそうしなければいけないと分かってるからだ。

だから、私はこれを誰かに向けてではなく自分に向けて書いている。
もし読んでくれている人がいたら、そのことは忘れないでほしい。


2015年、これから「わたしのアイドル」のことを何があっても信じようと決めた時に
もう一つ、私は私に約束したことがある。

それは、「手越くんに会うときは前に会った時よりも
何か一つ進化、または成長していること。」

どんな小さなことでもいい、ただ自分が確信を持って
進化、成長したと言えることを一つ。

例えば、髪を巻いてヘアアレンジができる。
例えば、普段は手の届かないメイク道具を買う。

それでいうとNEVERLANDでしていた進化は
今までと比べると一番大きなことで、
ツアーまでにではなくてツアーが終わるまでにだったから
羽化の途中でそのまま外気に晒され続けているような心もとなさと、
自分で決めたんだからやり遂げなければという
動かせない2つの感情を抱えたまま
進化した姿を一番見せたい人に会いにいくのは、苦しさもあった。


最初から誰かの為だとしてしまえば、ダメだった時に
自分の弱さ故その人のせいにしてしまうから
あくまで自分の為に頑張るんだと決めていたけど
「嫌いなやつの為に頑張る」ってしんどいんだなと思った。


この「嫌いなやつ」とは私自身のことだ。

好きな人の為に頑張るのだって、しんどくないことはないのに
なんだって嫌いなやつの為に頑張らなきゃいけないのだろう。

でも、もうダイエット宣言のブログを書いた時には無意識に分かっていて
連載を書き進めるごとに分かっていった。

何で、約束をしてそれを守っているのかも。


手越祐也というわたしのアイドルを好きでいる以上
自分を好きになれない自分のままでは
言い換えれば、自分を嫌いなままではいられない。

ブログには何度か書いているけれど、
私は手越くんを好きな自分のことはそんなに嫌いじゃない。

ただ、そのままの自分のことが好きかと言われれば
大嫌い、一生好きになれないと答えるだろう。



昔から「自分を好きになれないと、誰のことも本当に好きになれない」ということを考えてきた。

そうじゃないのかもしれないけれど、
私はずっとそういうものなんだと思っていた。

しかし、私は自分のことが嫌いで好きになりたくもないから
自分のことを嫌いなままで愛せる対象として
アイドルを求めていたし、応援していた。

なのに、「わたしのアイドル」の前では
もうそれは出来なくなってしまった。


私は自分の中でこうしなきゃいけない、
こうでいなきゃみたいなのが多いくせに
完璧になれない完璧主義者だから全然うまくできなくて
いっそ全部やめてしまおうと思うのにそれはそれで苦しくて
それでやっと、私は

「自分自身が、肯定できる自分でないと
"手越担である自分"も肯定できない」

ということに気づいてしまったのだ。


だからNEVERLANDツアーが終わって、
目標としていたことを達成した後も
「次は何を頑張ればいいんだろう」と思った。

とにかく今の自分を維持しなければと思ったし
多少なりとも変われたと感じていた分
何もかも元通りになってしまったらどうしようと恐怖していた。

でも、それまでは無意識だったことに気づいてしまったら、なおのこと
「嫌いなやつの為に頑張り続ける」ことは
容易ではないと、すぐに思い知った。

ツアー期間に起きたことがあまりにも濃密すぎて、
少し疲れて燃え尽きていたのもあると思う。

頑張らなきゃ、そうしないといけないと思いながら
全然気持ちが追いつかなかった。

むしろ、自分のことを嫌いになるようなことばかりして
頑張り続けられない自分をもっと嫌いになる
無限ループのなかにいたと思う。

夏から9月くらいにかけて、手越担になると決めてからの4年間と
ツアー期間に分かったことを残す為に、
担降りブログを書いてたんだけど
そこらへんの時期はずっと「光のオタクになりたかった」
って思っていた。

ここまで読めば何となく察してくれるかもしれないが、
私は落ち込んだ時に好きなものや人をみて元気を出そう!
ということができない。
そういう時こそ、私にはその資格がないと思ってしまう。


だから、その人を見ているだけで何も考えず単純に
「あの人のファンやるって楽しいんだな〜!」
って思ってもらえるような、光のオタクになりたかった。

好きなアイドルに対して勝手に何か重いものを背負わせたり
コンサートに行くまで死ねないとか思ったりしなくて
こんな風に捻れたり考え込んだりしなくて、
落ち込んだ時には素直に好きなアイドルを見て
よし!明日も頑張るぞ!とパーっと思えるような、光のオタクに。

そうじゃない人を否定したいわけでも
誰かにそう思ってもらえれば満足なわけでもないし
そもそもオタクはみんな等しくオタクだから
光とかなんとか分類すること自体に意味がないとは思うのだけど
でも、その時期はずっとそう思っていた。
分類することの楽さに逃げ込んでたともいえる。


私、今何も頑張ってないのに、どうして手越担やっているんだろうと常に思っていた。

何かしなければいけないって思いながら、
どうしても火をつけられないままで
何も頑張ってない自分が手越担を名乗っていることが、物凄く辛かった。

誰に対してか分からないけど、申し訳なさでいっぱいだったし
ひたすら辛いとだけ書き殴ってた2月に戻ってしまった悔しさもあった。


その時期に「生きてるだけで頑張ってるってことじゃダメなの?」と言われたことがある。

きっと私が他の誰かに、同じ悩みを打ち明けられたらそっくり同じことを言うだろう。
「生きてるだけでいいよ、それだけであなたは十分頑張ってるよ」って。
誰かに言う時、それは絶対に嘘じゃないし
本心で、私はそう思っていると伝えるだろう。

4年前の私なら、あるいは「それでいいのかも」と
思ったかもしれない。私はもう頑張っているって。


でも、今の私が私に対してそれを言うことはできない。
そう尋ねられた時も「それじゃダメなんだ」と答えたと思う。
少なくとも手越担でいる以上、それだけでは
私は自分自身を「頑張っている」と認められない。
生きてるだけで精一杯のはずが、いつから
こんなに欲張りになっていたんだろう。
そこでも、やっぱり始まりは4年前だった。


何も頑張っていない自分が嫌で嫌で仕方なくて
そんななか、また迎えてしまった誕生日。
いくら年齢は記号といえど年齢によって変わってくことは確かにある。

ちょうど気になっていた「浪費図鑑*2」を読んだことによって
この先もオタクとして、そして"ちゃんと"生きていくなら
このままではいられないのではないかと思うようになった。

手越くんみたいな前向きな理由ではなくて
明日死ぬならそれでもいいやと昔から思ってきたけど、
その日乗り切れればいいではなく、年単位で
未来に向かっていくビジョンを立てなければいけないのでないかって。

多分もう殆どの同い年の子たちが、
随分前から当たり前のようにやってきて
私はずっと考えないようにしてたことを
きっかけはオタクごとからっていうのが
またどうしようもなく私らしいんだけど、やってみようと思えた。


そして、転職活動を始めた。
始める前、具体的に今後どうしていくか
自分は何をしたいのかを真剣に考えていくうちに
ここ数年で、新しく少しずつ夢の形になっていったことに挑戦してみようかと思った。

全くの初心者からだし、今から始めても何年かかるか分からない。
将来どういう形に落ち着くのかも全く分からない。
それでも、何もしないなら何も始まらない。

幸い、回り道するのも失敗するのも得意分野だ。

今までも回り道や寄り道、数々の失敗を経て何とか生きてきた。
その全てが必要なことだったと思わなければ
生きてこられなかっただけだけど
でもやっぱり、全部無駄だったとは思わない。


当時の職場で仕事する合間に職場を探している時、
面接の為の準備、面接を受けに行く時、
自分の中で「頑張っている」とは認められなかったし
今までいかに自分が何もしてこなかったかを痛感して
それはそれでしんどさもあったんだけど、
とりあえず何かしているとは思えて、少しだけ
苦しさはなくなった。

かくして、去年の秋、第一志望に内定が決まった。

転職活動と仕事をしているときは向き合わなくてよかった
薄々気づいていて、担降りブログを書くことで
更に意識するようになったこと。

「手越担になった」私が自分自身に与えた課題に
これという言葉を与えてはっきりさせるべきだと感じていた。



今年に入って、「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」という本を読んだ。

読むべきなんだろうなと思いつつ、
読むタイミングを掴み損ねていたその2冊を
仕事を辞めて、転職先に入社するまでの期間の
課題図書に入れることにした。

それぞれまだ一回ずつしか読めていないので
理解したというには程遠いだろう。

だけど、ずっと考えていた色々なことへの
自分なりの答えを出すためのヒントは沢山得られたと思う。

今回の「課題に言葉を与える」ためのヒント、
それは「自己肯定」と「自己受容」の違いについて。

自己肯定とは、できもしないのに
「わたしはできる、わたしは強い」
と、自らに暗示をかけること。



一方、自己受容とは、仮にできないのだとしたら、
そのできない自分をありのままに受け入れ、
できる様になるべく、前に進んでいくことです。

更にわかりやすくいえば、
60点の自分に「今回はたまたま運が悪かっただけで、本当の自分は100点なんだと言い聞かせるのが「自己肯定」で、

対して、60点の自分をそのまま60点として受け入れた上で100点に近づくにはどうしたらいいかを考えるのが「自己受容」になる。

ー『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』古賀史健・岸見一郎


私はそれまで「自己肯定」と「自己受容」の
2つをごっちゃにして考えていたと思う。

更に言えば「自己肯定」さえできていれば
「自己受容」できるのだと思っていたのである。
例えそれが一時的なものであったとしても。

私は努力していると思うことで得たなけなしの
自己肯定感を貼り付けていれば
多少なりとも自分を好きな自分でいられると思った。
そして、自己肯定という襦袢を持たないままでは
「麻の着物」は着られないと思っていた。

そもそもが60点もあると思えないんだけど。笑
例えとして、私に足りてない部分が40点だったら
いつも、足りない点を手に入れようとしない自分は資格がないのだと感じていたし
100点になる為に40点を手に入れようと必死だった。

人からみて100点ではなかったとしても、
私にとっての40点を何とか付け足すことで
やっと好きでいられる資格をもらえるんだと。

その40点を手に入れる作業が、私の中では
「何かを頑張る」ということだったんだと思う。


しかし、「自己肯定」と「自己受容」
この2つは元々違うものであり独立していた。


なので、転職先に就職するまでの少しの間
その自己肯定する為の何もかもをやめてみようと思った。

40点を手に入れるための作業を見つけようとせず
「これをしたら、自分を嫌いになるだろう」と
最初から分かっていること、
やったら絶対後悔すると知っていることをやった。

60点すらもマイナスにするようなことをして
案の定、あぁやっぱり私は自分のことが嫌いだなと思った。
し、なんなら益々嫌いになっていった。

今までそんなことなかったのに、
「麻の着物」すらも意味をもたない時もあった。
本当にダメかもしれないと思った。


でも、捨てられなかった。捨てられるはずがなかった。


そして、はっきりと分かった。
私はきっと、これからも「自己受容」はできないだろう。
少なくとも、今はまだできない。


3月から新しい職場で働いて、日々研修をこなして
満員電車とか満員電車とか通勤時間に伸し掛られながら
今私はやっとまた「何かを頑張っている」と思える。


そして何とか40点をもらって、何とか100点に近づいた私で
「わたしのアイドル」に会いにいこう、
それまで生きていようと思う。


いきなりなんだという感じだが、
私は手越くんのことを「アイドルだから」好きな訳ではない。

こういうとリア恋みたいだけど、そうではなくて
この世界で2人といない手越祐也というかけがえのない1人の「人間」が
アイドルという職業を選んで、選び続けてくれていることが
たまらなく幸せで、大好きで、大切にしたいと思う。

そしてまた、互いに1人の人間同士としては
絶対に出会えなかったであろう手越くんと私の
アイドルとファンとしての関係も愛している。

私と手越くんは全然似ていない。
むしろ、真逆と言っていいだろう。

‪人は「自分が言ってほしいことを言ってくれる人」
「自分が言いたかったことを的確に言い当ててくれた人」
もしくは「自分が言いたくても言えないことを言ってくれる人」に好意を抱きがちだと思う。

私にとって、手越くんは殆どその逆が多い。


理解しがたいと思う時もあるし
耳が痛い話に苦しくなる時もあるし
もう!うるさいな!って思うこともあるし
やっぱり私と全然違うなって思うことの方が少なくない。

でもだからって嫌いになるとかそういう話ではない。
「違う」から嫌いになるんじゃなくて、だからこそ面白い。


私とあなたは全く似てないけれど、同じ人間で
同じだけれど、全く違う人間。

‪だからこそ完璧には理解し合えないし、
だからこそ沢山の可能性を秘めている。‬


あなたが教えたいと思って教えてくれるあなたのことを
理解できない時も沢山あるけど、
それでも出来る限りで理解したいと思う。

そしてもしも愛することができたなら、
こんなに最高なことはないと思える。


たった1人の私とただ1人の「わたしのアイドル」


手越祐也として生まれてきて俺は、こんなみんなに出会えてめちゃくちゃ幸せ」

手越祐也として生まれてきて」…
そんな風に言ってもらえるファンは、どれほど幸せなんだろう。

ただ羨ましがっていた私は、そのファンになって手越担になった。



いつか、私は私のままで、ありのままの私で
会いにいって、あなたの前に立てるだろうか。
その勇気を持てるだろうか。


こんなに何回も幸せだと口に出したくなるくらい
幸せにしてもらっている私は、あなたを幸せにできるだろうか。
アイドルとファンとして、幸せになる勇気を持てるだろうか。



「汝の自担を、汝のごとく愛せよ」
きっとこれが、これこそが手越担を続ける限り
私が自分自身に与える課題だ。



今は40点がないと不安で、ダメで、自分のことが大嫌い。
‪何もない、勇気が持てない、完璧になろうとする私。

でもいつか、60点のままで、もしくは
世間にとって60点でも自分では100点だと思える
ぜんぜん完璧になれない私で


「私は、私として生まれてきて、
あなたに出会えてめちゃくちゃ幸せだ」って

言わせてほしい、

唯一無二の「わたしのアイドル」へ

*1:ポエムエントリー

*2:商業版